まほらの天秤 第23話


暗く鬱蒼とした森の中、聞こえるのは草木が風に揺れる音と、動物たちの動く音、そして影が動く音だけだった。月の光だけが照らすその場所はとても薄気味悪く感じられ、生きた人間など住んでいないように見えて、建物の前で呆然と立ち尽くしていた影は思わず背筋を震わせた。
施錠がされていない扉を音もなく開き、滑るように侵入した。
しんと静まり返った室内。
足音をたてず、気配のないその影は歩き続けた。
奥の部屋に入ると人の気配が僅かに感じられ、ゆっくりと室内へと足を踏み入れた。影はベッドに身を沈みこませ、こちらに背を向ける形で静かに寝息を零すこの家の主を見降ろした後、ふらりとシーツの中へその体を滑り込ませた。



「!?・・・!!!」

冷たい外気を感じた瞬間シーツの中に生き物が潜り込んできたことで、驚き目を覚まし、声を出せない彼は恐怖から体を硬直させた。
影は背中から抱きこむようにその痩身に腕を回してきた。
拘束された!?
誰だ!?
硬直したままでは殺さるかも知れない。
身を捩り、拘束から抜けだそうとした時、何かおかしいと気がついた。

・・・泣き声?
耳を澄ませてみると、この不審者は何か言葉を発していた。

「・・・めん、ごめん、ルルーシュ、ごめん。顔は見ないから、何も、見ないから。ごめんね、ルルーシュ」

ごめんね、ごめんね。僕が、俺が何もせずにいたから。
抱きついてきた男は、そう言いながら涙を流していた。
聞き慣れた声に、潜り込んできたのか誰なのかは容易に想像できた。
今はまだ真夜中。
本来であれば、この男が訪れるような時間ではない。
太陽が顔を出すまでにまだ数時間あるのだから。
何があったかは知らないが、屋敷で耐えられない事でもあったのだろう。
アルコールの匂いをさせているから、酔っているのかもしれない。
背中に縋り付き幼子のように謝りながら泣く男に、黒衣の住人はそっと手を伸ばし、その癖のある髪を優しく撫でた。
びくりと体を震わせた男は、確かめるように顔を上げた後、再びその背中に しがみつき、嗚咽を漏らした。




腕の中にある暖かさに無意識に頬を擦り寄せると、その温かい何かは怯えるようにびくりと体を震わせた。
夢にしてはリアルすぎる感覚。
何だろうと思い目を開くと、そこにはさらりと流れる黒い髪。
黒髪と黒い服の隙間から僅かに見える白い首元には赤黒い傷跡。
おかしなことにその人物は、頭からシーツに潜り頑なに顔を見せまいとしている。
そこまで確認してから、呆けた頭で辺りを見回した。

「・・・えーと?」

朝起きたら見慣れぬ部屋にいました。
いや、しっかり腕に抱きこんでいる存在と、この状況で何処かはすぐに解ったけれど、何でここにいるかがさっぱり分からなかった。
どうして屋敷にいたはずなのにここに?
なんで彼を抱きしめて寝てたの?
なんか頭痛いし・・・。
軽く混乱しながら無意識に腕に力を込めると、腕の中の住人は再びびくりと体を強張らせて身を縮めた。
そしてシーツを握りしめ、その姿を少しでも隠そうと必死になっている。
首元の赤黒い火傷の痕が目につき、すっと指を滑らせると、体を震わせますます身を縮めてしまう。人に触れられるのが、接するのが怖いのだろう。あるいは顔を見られることを恐れているのかもしれない。
再び滑らせた指先に感じた滑らかな白い肌と、ざらついた赤黒い肌の感触はあまりにも生々しかった。
うーん、何だろうこの状況。
夢かな?夢としか思えないよね?
こつんと目の前の黒髪に額を当て、うーんうーんと考える。
たしか、ルルーシュが悪魔だという彼らの話を聞いた後どうしてもイライラが収まらなくて、夜になってから久しぶりにお酒を飲んだ。何となく街に出たついでに買っていたお酒と、館の人が用意してくれたお酒を。
苛立ちと、寂しさと、焦燥感と、怒りと、この数百年の間に消えてしまったと思ってた人間らしい喜怒哀楽と言った感情があふれ出して止まらなくなり、段々と自分はこの世界でひとりなのだと思いだされて、寂しくて悲しくて泣きたくなった。

アルコールの力に任せて眠ろうと、次々に杯を重ねた所までは覚えている。
・・・むしろそこまでしか覚えてない。
酔って記憶が飛んだなんて初めてだ。
酔っ払ったのも数百年ぶりだった。

・・・ああ、この頭の痛さは二日酔いだ。
成程と納得はしたが、この状況の理由にはならない。
酔っぱらって前後不覚になり、寂しさのあまりここまで来たのだろうか。
そうかもしれないと、両目を閉じ細い体を抱きしめながら思った。
不老不死となり時を重ねて行くうちに、周りにいるのは自分よりもはるかに若い・・・見た目はどうあれ若い者たちだけになった。どれだけ不安を抱え心細く思っても、そんな人たちに頼るという思考がいつのころからか働かなくなった。
寂しさを紛らわせるために女性に温もりを求めた事もあるが・・・自分に子供がいた前提の話だが、回りにいるのは自分の孫や曾孫よりも若い者なのだ。しかも血を残せない体となり、子孫維持の本能である性欲が激減。女性を抱いても虚しさばかりが募る様になった。
ユーフェミア達の話をきっかけにして押さえていた様々な感情があふれ出し、翻弄されたことでルルーシュに救いを求めたのかもしれない。

「・・・ごめんね、ルルーシュ。眠れなかっただろ?」

・・・

「僕、君の顔とか、見ちゃったのかな?」

・・・

「僕、変なこと言ったりしなかった?」

・・・

残念なことに彼からの返事がなく、悲しい気持ちになった。
間違いなく怒ってる。
嫌われたなと思ったら、泣きたくなった。
すると、それに気付いたのか彼は、僕の服の袖を引っ張った。
ぐいぐい、と2回。

「・・・・あ、そっか、鈴」

周りを見回すと枕元にお面と鈴。どちらも僕の側にあった。

「ごめん。そろそろ起きる時間だよね」

ぐいっ。

「うん、僕部屋の外に出てるね」

ぐいっ。

名残惜しく感じながらも彼を拘束していた腕を解くと、彼はあからさまに安堵したように息をついた。




「水は地下水、お風呂は温泉か」

これで電気があれば言う事無しだよね。
そう思いながら、少しぬるめのお湯に体を浸していた。
酔っ払った僕は、どこをどう通ってここに来たかは知らないが、かなりの強行軍をしたらしく、衣服は破れ、至る所に擦り傷や切り傷が出来ていた。中には結構深い物もあったが、すでに血は乾いていた。
驚くほど泥で汚れた服を着て寝てしまったため、ベッドから降りた時にはシーツが土と泥で汚れきっていて、茫然としてしまった。彼は黒い服を着ていて目立っていないが、おそらく土まみれだろう。
そんな姿で戻れば何を言われるか解らないと、昨日ここに残していった新品の衣服を農具置き場から取ってきて、こうしてお湯を借りることになった。 お風呂からあがると、救急箱を用意してルルーシュが待っており、一つ一つ丁寧に手当てを施された。
重症でもない限りコードによる再生は行われないため、この程度の傷は自然治癒に任せるしかない。
その後菜園へ行き、朝食用の野菜を収穫し、泥と血で汚してしまったシーツや衣類を一緒に洗い、ルルーシュにここを出ようと説得していると、気が付けばお昼も近い時間となってしまった。
名残惜しいが、昼までには戻らなければならない。

「じゃあまた明日来るね、ルルーシュ」

リンリン。

玄関まで送りに出てくれたルルーシュは、相変わらず否定の鈴を鳴らす。
すっかりと落ち込んでいた気持ちも吹き飛び、ルルーシュに手を振りながらスザクはその場を後にした。

スザクの姿が視界から完全に消え、辺りが静かになってから、悪魔と呼ばれた青年は周りを見回した。

何かがおかしい。
少し前からずっと、焦燥感を感じていた。
スザクが夜中から押し入ってきて、人を抱き枕代わりにしていたせいで寝不足だ。
そのせいで苛立っているのだと、最初は思っていた。

だが、やはりいつもと何かが違う。
森が、静かだと思った。
静かすぎると。
暫く玄関で立ち尽くしていると、がさりと草が音を立てて揺れた。



黒い人は余裕で寝不足。
スザクはお酒を沢山飲んで泣いて喚いて甘えながら寝たことですっきり。

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